
ジイさんは荒野をめざす
(以下の文章・写真はフェイスブックからの転用です)
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◎2月28日(土)晴れ
14:00 関西空港発 (中国南方航空CZ390便)
17:30 広州着
19:10 広州発 (中国南方航空CZ3067便)
22:10 カトマンズ着
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カトマンズ空港は、相当年季が入った建屋という感じ。
同行のWさんとふたりで、空港の外に出る。
タクシーの客引きが激しい。No, thank you. No, thank you.
ガイドが待っている、という約束である。予想ではわかりやすい看板みたいなものを持っている、と思い込んでいたが、全くはずれた。
Wさんのスーツケースを私が預り、Wさんが探しに出迎えの人々のなかへ。ほどなく、旅行社の黄色バッチで見つけることができたらしい。
ガイドはデュルガ、40歳くらいで私くらいの小柄。日本語堪能。
23:00頃、ホテル到着。
明日の予定説明を受けたり、両替したりしているうちに、部屋へ入ったのが午前0時すぎ。
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◎3月1日(日)晴れ
トレッキング初日 (カトマンズ〜ルクラ⇒パクディン)
4:30 モーニングコール
5:00 ホテル出発
6:15 カトマンズ空港発
6:55 ルクラ空港着
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今日からメンバーが一人増え、3人に。女性のTさん。小柄で細い。
トレッカー3人に対して、ガイド1名、サブガイド1名、ポーター1名。
ポーターは3人分の荷物と共同装備合計45kgくらいを、ひとりで担ぐ。
われわれは、トレッキング途中で必要な装備のみサブザックに詰めて、楽々道中。贅沢すぎ。
しかし、かれらはこれで生計を立てているから、トレッカーが自分で全荷物を担ぐのは、ご法度。
カトマンズからルクラ間は車道がない。途中のジリまでらしい。
ジリからルクラ間は徒歩のみ。陸路で行くと1週間位かかるらしいが、飛行機ならなんと40分くらい。
しかし、天候に左右されやすく、欠航もよくあるらしい。
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ルクラは標高2840m。
本日の目的地パクディンは標高2610m。
高地順応を兼ねて、ゆっくり歩く。
途中から雨、夜には雪になった。
(本日の歩行時間=約3時間、歩行距離=約9km)

ルクラ空港到着。狭い谷間にある、世界一離着陸が難しい(?)と言われているらしい

航空機は双発のプロペラ機、18人乗り。機長は女性だつた

現地の人の荷物の運び方は独特。荷物を支持するのは、頭(額)、背中、そして荷物のサイドにつけた紐でバランスを取りながら歩く
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◎3月2日(月) 雪/曇り
トレッキング2日目 (パクディン⇒ナムチェバザール)
6:00 モーニングコール
7:00 朝食
8:00 ロッジ出発
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朝、目覚めると窓の外は一面の白銀の世界。
えらいこっちゃ。今日の目的地ナムチェバザールは標高3440m。
いったいどれほどの積雪になっていることやら。
起きた当初、高山病初期症状の軽い頭痛を覚えたが、朝食後にはなくなった。
雨ガッパで傘をさして歩く。カメラは諦めてデイパックに詰める。
「ナマステ!」「ハロー!」「アンニョハセヨ!「こんにちわ!」
エベレスト街道ではさまざまな国の挨拶が飛び交う。現地の挨拶「ナマステ」はどんな場面でも使える、便利な言葉。
昨日はあんなにもすれ違った牛や馬が、今日はほとんどすれ違わない。やはり、積雪のためお休みといったところか?
休憩時、積雪があるので立ったまま一息入れる。展望はほとんどきかない。
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それでもナムチェバザールが近づく頃には、雪もやんで一安心。
積雪量は4,50センチくらい。ナムチェバザールでは、ところどころ雪かきがされていた。
16時頃、ロッジ到着。
(本日の歩行時間=約6時間、歩行距離=約13.5km)

エベレスト街道は牛や馬が荷物を運ぶ道。糞を踏まないよう気をつけて歩きましょう

休憩場所の雪景色。ここではまだ膝下くらいの積雪量

ロッジから見えるナムチェバザール。屋根はトタン拭きなので、雪は割と早く溶ける
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◎2015年3月3日(火) 雪のち曇り
トレッキング3日目 (ナムチェバザール⇒シャンボチェ)
7:00 朝食
8:00 出発
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ナムチェバザールのロッジは、ここまでで一番寒かった。すき間風の入る部屋の窓の外は、冷凍庫とほぼ同じ気温。
ただし、ベッドは、毛布の下に寝袋、寝袋の中にシーツ、シーツの中に湯たんぽと、万全の寒さ対策のおかげで、割と快適。
昨日、野鳥のノビタキが出迎えてくれたロツジの庭木も、夜間の降雪で雪化粧。
食堂へ行く通路もツルツルに凍結しているので、慎重に歩く。食堂の薪ストーブがありがたい。
体調検査。血中酸素濃度88%、心拍数84。標高3440mだからこれで問題なし(たぶん)。頭痛もなし。
今日は歩行距離は短いが、今回トレッキング中で最も標高が高い3720mのシャンボチェに上るので、否応なしに気合いが入る。
ナムチェバザールの村の道は、ほとんどが階段状で、凍結していて危ない。
最初に向かった展望の丘は、途中から雪が降りだして、全く展望がきかなかった。
丘で雪と戯れていた米国の若者男女4人は、エベレストベースキャンプへ行く途 中とのこと。若さがうらやましい。
われわれのガイドが、「私たちはシャンボチェベースキャンプへ行きまーす。」と、洒落を飛ばしたが、通じなかった (;_;)
標高を上げるに従い、積雪はさらに増して、ほとんど股下までになる。雪中歩行で時間がかかりすぎるため、ガイドは当初予定のクムジュンクンデ村での昼食を諦めた。
今日の宿泊ホテルへのショートカットコースは、さらに困難を極めた。踏み跡が新雪でかき消され、全く道なき道を行く感じ。
われわれ2グループ、5人の日本人とガイド、サブガイド、ポーター 各2人のネパール人、総員11名の一団は新雪のラッセルを余儀なくされた。
先を行くポーター2人が音を上げて、雪の中に身を投げ出している。
ガイドのデュルガが先頭になる。比較的体力に余裕がある小生が二番手で続く。救いは、目的地のホテルが上の方に見えることであった。
正午すぎ、無事、ホテル正門に到着。ホテルは積雪の中、森閑としていた。
従業員3、4人くらい、客なし。ロビー兼食堂ではすぐに電気ストーブが付けられた。
ネパール人は全員がスパッツを付けていなかったので、シューズの中は靴下までびしょ濡れであった。凍傷にならないか真剣に心配した。
遅い昼食時、幸運にもエベレスト方向の雲が開け、ローチェの勇姿を短時間見ることができた。
(本日の歩行時間=約3時間、歩行距離=約3km)

大雪のナムチェバザール

シャンボチェに向けて出発!

途中からホテルまでは股下まで埋まり、ラッセル、ラッセル

少しだけ姿を見せたローツェ
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◎2015年3月4日(水)晴れのち曇り
トレッキング4日目 (シャンボチェ⇒ナムチェバザール⇒モンジョ)
5:30 モーニング紅茶サービス
6:30 朝の散歩
7:30 朝食
8:30 出発
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・・・・・ついにヒマラヤの神々が、われわれに微笑んだ。
トレッキング開始から4日目の早朝、連日の雨・雪の天候から一転、雲一つない紺碧の空に、神々しいまでに白銀の山々が姿を現わした。
ホテル裏手の小高い丘は、絶好のエベレストビューポイント。
積雪は60cmくらい。
クーンブ山域の名だたるピークのほとんどすべてが、360度の大パノラマとなって眼前に広がる。
みんな息をのんで言葉がでない。すごい!としか言いようがない。
ガイドのデュルガさえも、こんな絶景は人生初だという。
朝日が山々の稜線から、徐々に下のほうに拡大してきた。
いつまでいても見飽きることはないが、3、40分雪の上に立っていたせいで足裏がじんじんと冷えてきた。
充分に堪能した感がしたので、暖かいホテルの食堂に戻った。
さてこれから、昨日来た道を戻らねばならない。今日はモンジョ村まで。
できることなら、ヘリでカトマンズまで飛んで行きたい気分であるが、それは不可能。
ツルツルに踏み固められた道も通らなければならないので、気持ちを引締めて、いざ出発。
軽アイゼンを持参すべきであったが、もう手遅れ。
絶景を楽しみながら、ナムチェバザールへの急坂を下る。若手のTさんが何度かスリップして尻餅をつく。ガイドから1回転んだら、罰金1000ルピーとか冗談を飛ばされていたが、怪我もなくナムチェバザールに到着。
昼食休憩。
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人懐っこい黒いワンちゃんに、道中見送られながら街道を下る。
子供達が大雪にはしゃいで、手製そりで街道を滑ってあそんでいるので、ところどころツルツルで危ない。
16時前、雨に少し降られながらモンジョのロッジ到着。標高2830m。
田舎の民宿という感じの宿。他の宿泊者は、ニュージーランド、ドイツ若干名といったところ。
もう高山病、道の凍結といったリスクもほとんどないので、夕食前から同行のWさんとお祝いの杯を交わした。
ロッジお手製のりんごのハウスワインをしこたま飲んだ。
ガイドのデュルガもホットウォーターといいながら、このハウスワインを飲んでいた。
アルコールを飲まないTさんも、おおいにはしゃいだ。みんなエベレスト等の絶景を見ることができて、気持ちが解放されたのだと思う。
(本日の歩行時間=約6時間、歩行距離=約10km)

シャンボチェからのコンデリ、4つのピークを持ち、最高は6186m

シャンボチェから、左が世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)8850m、右がローツェ8516m

泊まったホテル「エベレスト シェルパ リゾート」と朝日の中のコンデリ

クーンビラ5765m、シェルパ族が聖山と崇め、何人も登ることは許されない、とのこと

ポーターはひとりで2,3人分の荷物を担ぐ

ナムチェバザール展望の丘からの絶景。
真ん中左から、エベレスト、ローチェ、アマダブラム

左エベレスト、右ローツェ

ナムチェバザールからモンジョへの帰途、黒い犬が見送り
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◎2015年3月5日(木)晴れのち曇り
トレッキング5日目 (モンジョ⇒ルクラ)
7:00 朝食
8:00 出発
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今朝も冷え込んだため、ロッジの庭は凍っていた。裏手の山向こうには、白銀のタムセルク6618mが朝日の中に浮かび上がる。
昨晩は、みんな盛り上がったが、今朝、二日酔いの人は誰もいなかった。今日はルクラまでほぼ下りで、最後に少し上りがあるコース。気分的には楽である。
それでも、高所の吊橋をわたるところが何カ所かあり、慎重に歩かざるを得ない。
往路では、雪でツルツルだったが、今日は雪はほとんど溶けていた。
白く輝くタムセルクが途中まで良く見えた。
とうとうタムセルクが見えなくなると、今回のトレッキングもこれで終わりだという、満足感と達成感が一体になったような感慨が湧いてきた。
昼食前に、日本人の大集団一行とすれ違った。
こんにちわ!のあいさつで、私はそれと気づいたが、あとで聞くところによれば、エベレストを題材にした映画の撮影隊御一行様とのこと。
8月まで現地ロケするらしい。主演の岡田准一や共演の阿部寛もいた、ということだが全く気がつかなかった。
昼食後は、ルクラまでほぼ上りのきつい道が続いた。
Wさんは辛そうな足取りだが、若いTさんは快調そう。
15時頃、狭い谷の高台に開けた町、ルクラに到着。
初めての出来事が、次々と起こったエベレスト街道トレッキングも、これで幕引きとなった。
あとは、無事に日本に帰るだけである。
この時は、とんでもない帰国劇が待ち構えているとは、露ほども思わなかった。
(本日の歩行時間=約5.5時間、歩行距離=約10km)

モンジョのロッジから見た、白銀のタムセルク6618m

ガンジス川源流を渡る吊り橋が、7箇所ある。雪が踏み固まってツルツル。高所恐怖症の人は、ここでは生きていけない(?)

タムセルクと風にはためくタルチョ

クッサムカンガルを源流とする渓谷の橋

エベレスト街道沿いのワンちゃんたちは、みんな放し飼い。トレッカーに吠え立てる犬は、ほとんどいない

チベット仏教の経典が掘られたマニ石と、白い仏塔のチョルテン


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今回のネパール旅行は、当初9日間の予定でしたが、カトマンズ空港閉鎖により、結果的に11日間となりました。
全体的には予想外の事態の連続でしたが、私にとっては、今から見れば大変面白い旅行でした。
大別すると、前半が大雪のエベレスト街道トレッキング編、後半がドタバタの帰国編、に分けられると思います。
特に後半は、ハプニングの連続で、ガイドなしでの衝撃的な体験となりました。
この後半はおおまかには、
・カトマンズ空港での大混乱
・広州空港での事件
・一晩限りの中国特別入国
に分けられます。
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3/4(水)7:40頃、カトマンズ空港濃霧の中、トルコ航空機着陸失敗。
空港閉鎖。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/…/03/post_165.html
(この頃、われわれは標高3720mの大雪のシャンボチェにてエベレストなど360度の大展望を楽しんでいた。)
3/6(金)、空路、ルクラからカトマンズへ。
ホテルへ到着後、ガイドから空港閉鎖を知らされる。
この時点での説明では、明日3/7(土)23:15の出発便は100%無理。
3/8(日)は50%。
3/7(土)、日本の旅行社と連絡を取り、空港内の混乱を避けるため、明後日3/9(月)の出発、で調整。
当夜は、同じホテルに延長宿泊。
3/8(日)未明、航空機の爆音で空港再開を知る。
朝、ガイドから3/9(月)出発で調整中だが、何が起きるかわからないので、ホテルに待機するよう言わ れる。
市内観光は控え、ホテルで割とリラックスして過ごしていたが、15時頃、現地旅行社の責任者が来て、以下、通告。
「中国南方航空から連絡がありました。
今日これから3機の臨時便を出すので、今日までのキャンセル客はこれに乗ってほしい、
20時頃に空港に来てほしい、
ということです。われわれには明日の予定は全くわかりません。」
大急ぎでパッキング、夕食を済ませて迎えのクルマを待つ。
19:30頃、カトマンズ空港到着。
空港のセキュリティルールのため、デュルガは空港外で待機。
チケットが入手できたら、私の携帯で連絡する約束で、同行者のWさんと二人で、大混乱の空港ロビーへ入る。
チェックインカウンターがあるところは数千人の人々で埋めつくされ、前方のチェクインカウンターが見えない。
前の外国人に中国南方航空であることを確認して、最後尾に並ぶ。
20時頃、チェックイン受付開始。前方がざわめきだす。
1時間経過してもなかなか前に進まない。
荷物を載せるカートが至るところに放置されており、もはや列はグチャグチャ。
そのうち怒号、罵声が前方で聞こえ出す。
平気で前の方に割り込む奴も見える。
ひとりで何人分かの団体さんのチェックインを行っているのか、スーツケースが何個も何個も手渡しで、人々の頭上を横切っていく。
こんなのってありか?
(翌日わかったけど、これをやってたのは日本人、本人と雑談する機会があった)
ようやくチェックインカウンターが見えてくると、時折、受付係員が、まっすぐ並べ、と怒鳴っているのがわかるが、まったく効果なし。
しかし、あからさまに行列をかき分け、カウンター最前列に割り込む輩には、さすがにダメ出しをしていた。
23時頃、やっとカウンターまで2、3mのところまで近づいたが、もはや行列とは言えず、パニック寸前。
私が並んだカウンターには、右からも左からも人々が 押し寄せ、早い者勝ちの状態。
一つのカウンターに4人くらい、しがみついている。
私の後ろからも、パスポートとeチケットを持った、何本もの手が伸びてくる。
カウ ンター内では預け荷物の処理が順調に進まず、山盛り状態。
受付係員がスタッフを、遅い、遅い、と叱っている。
23:30頃、ようやく広州空港へのチケットをゲット。
スーツケースが無事に着くかどうか不安を抱えながらも、セキュリティチェック、出国審査を無事通過。
チケットに印字されている搭乗時間は23:45で、ゲートNo.は記載なし。もはやこの時刻は過ぎているので、搭乗ゲートのあるエリアへ急ぐ。
外で待機しているはずのデュルガへ、携帯を何度もかけるが、・・・・・つながらない。
空港外で事前に予習すべきであったが、後の祭り。
とにかく、搭乗口に急ぐ。
3/9(月)0時過ぎ、搭乗口エリアのフライト予定のモニターに、われわれのフライト便名がまだ表示されていないことを確認。
全体的に何時間も遅れていることがわかって、とりあえず一安心。
私の携帯には、デュルガから何回もの着信履歴が残っていたが、空港内の騒音のため、全くわからなかった。
しかたないので、日本では未明時間ではあるが、日本の旅行担当者の携帯に国際電話して、デュルガへチケットゲットした旨の連絡を依頼(・・・・・すみませんでした)。
待合ロビーも満員であったが、航空機離陸に伴い、徐々に混雑は解消。
1:50搭乗開始。
ここから先は意識朦朧として、はっきり記憶していないが、3時前頃に機内座席に座った。
すぐに眠りに落ちて、離陸の瞬間は覚えていないが、同行者の話では、4時頃に無事離陸。

数千人の客がチェックインを待つ

怒号が飛び交う中、やつとチェックインカウンターが見えてきた。どこの人たちとは言えないが、割り込み、横入り、一人で7、8人分の手続き等々、現代日本では考えられないやりたい放題。
約4時間かかってようやくチケットをゲット。
ただし、広州から日本への分はなし。広州で自分でチケットを取れ、ということ。
翌日午前4時頃、カトマンズを離陸
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現地時間で10:30頃、広州空港着陸。
乗継チェックインカウンターに並ぶ。
前には10人ほどいたが、ここでもアラブ系ぽいふたり組がいつの間にか前方に割り込んでいた。
順番が来たので、カトマンズから来て、日本の大阪もしくは名古屋へ行きたいことを伝える。
すると予想はしていたが、やはり今日のフライトはもうない、とのこと。
明日のフライトを予約する。
今晩のホテル代は、無料との説明あり。
その他にもいろいろ言っていたが、要は特別措置にて一晩限りの入国許可らしい。
機内預け荷物をこのまま明日のフライト便に載せるか、ここで一旦受取るか、どちらがいいか、と質問される。
私は、手荷物のデイパックだけで特に問題なかったが、同行者Wさんは機内預け荷物が2個あり、ホテルで必要と思われたので、ここで受取と回答。
あとで考えると、この時に、Wさんの機内預け荷物が2個あることを確認すべきであった。
入国カードに記入、入国理由はその他にチェック。
係官に引率されて特別入国窓口で審査。問題なく通過。
全員が揃うのは時間がかかるので、10名くらいずつでホテルに移動するらしい。
しかし、まだ荷物を受取っていないため、係官に訴えて荷物受取場所を教えてもらう。
荷物を一旦受取るのはわれわれだけらしい。
私のスーツケースはわかりやすいオレンジ色なのですぐ見つかった。
しかし、Wさんはスーツケースは見つかったが、もう1個の赤色のバッグが見つからない。
どうやら紛失?
この非常事態に私のほうが焦った。
引率係官が、われわれを置き去りにしてホテルに移動すれば、われわれは迷子になるしかない。
とりあえずわたしだけ、先ほどの係官が立っている場所に戻り、現状を説明。
係官は、露骨にイヤーな顔をして一言だけ・・・「impossible」。
・・・・・・われわれは、係官にとって厄介者らしい(-_-;)
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われわれは入国手続きは早かったにもかかわらず、とうとうホテル移動の最終組になってしまった。
グループは8名くらい。
Wさんが、バッグ紛失の保証が海外旅行保険についているかもしれない、紛失の証明証が必要だ、と言い出す。
貴重品が入っていたのか問うと、貴重品は入れてないと言う。
それなら諦めたほうがいいんじゃない、と言ったがWさんは承知しない。
しょうがないので、他のメンバーに待ってもらい、紛失証明書を出してもらう手続きをする。
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手続き終了後、バスのところへ移動。
バスは立派な大型だった。
ホテルまでは30分ほど。
町並みはスモッグがかかったように見通しが良くない。
到着したホテルは、想像以上に豪華だった。
指定された部屋は、広々としたツインルーム。
こんな立派な部屋にひとりで泊まるのは、人生初。
今回の旅行は、わが人生初の出来事が多すぎる。
昼食と夕食は、ホテル内レストランにて無料。
昼食後、ひとりでちょっとだけホテルの外へ出てみる。
ホテルの真ん前は地下鉄?工事中のため、埃っぽい。
10分ほどでホテルへ戻った。
あとで聞くと、Wさんは缶ビールを求めてホテルの一角を一周したらしい。酒屋を見つけて、クレジットカードで売ってくれと言ったが、ノーだったらしい。
夕食後、久しぶりに広々とした温かいバスタブに浸かり、この10日間の垢を落とした。
結果的に、ネパールでは温かいシャワーも満足に使えなかった。
20:30頃、ふかふかベッドで眠る。
3/10(火)5:20、総員30名ほど揃ってバスに乗り込む。
乗り込む際に、朝食用の軽食とヨーグルトを渡された。
いたれりつくせり、である。謝々。
8:30頃、広州空港離陸。
13時頃、関西空港着陸。
ヤレヤレ、お疲れさまでした。

広州空港到着後、一悶着あったがとにかく関空へのチケットを確保して、一安心。
特別入国ビザを貰って、用意された豪華ホテルへバスにて移動

リッチな昼食と夕食にタダでありつけた・・・・・
