
ジイさんは荒野をめざす
カミーノ・デ・サンティアゴ
(13日目〜19日目)
2016年4月13日(水) 晴れ
=巡礼13日目=サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ(8:00)→ビジャマヨール・デル・リオ(14:10)18km
朝、大聖堂にあるという2羽のニワトリの鶏舎を見たかったが、相方がさっさと歩きたがったので諦めた。
町はずれのオハ川にかかる大きな橋を渡ってからは、緑が目にやさしい巡礼路。
この先は、小麦畑の丘を緩やかに上って行く。
今日は一日中、天気もよく、穏やかな巡礼日和。
途中、いくつかの小さな村を通り、アキレス腱の限界が近づいた頃、
やっとビジャマヨール・デル・リオのアルベルゲに投宿。
このアルベルゲは、巡礼路から300mくらい外れており、大きな看板がなかったらたぶん気が付かない。
山あいの小麦畑の中の一軒宿で、日本の民宿のように家族経営。
ヒゲ爺さん(と思ったが、あとで50代と判断した)と、おかみさんと小学生の男の子と犬3匹。
ここでの生活ルールについて、おかみさんが一生懸命スペイン語で説明してくれた。
ここのベッドルームは二段ベッド2台とシングルベッド1台、こじんまりしている。
今回初めて、中国人の青年と同部屋となった。
ここまで毎日、彼は30kmくらい歩いて来たらしい。
夕食はおかみさんの手作り料理、スープ、白身魚、パン、デザート。
宿泊5€、夕食8€、朝食3€。

アルベルゲ玄関前から大聖堂を見上げる

オハ川にかかるドミンゴ橋を渡る

雨上がりの翌日は、こんな水たまりも珍しくない

坂の途中にある休憩処、黒い鋼鉄の十字架が何となく落ち着かない

最初の村、グラニョンが見えてきた・・・

眼前に広がる小麦畑

小麦畑の一本道を進む・・・

カスティルデルガードの教会広場

ビロリア・デ・リオハのアルベルゲ横で休憩中・・・

トレッキングブーツのお花・・・

巡礼路と並行して、国道N-120がつかず離れず・・・

本日、宿泊のアルベルゲ
Coffee Break5
・・・巡礼の基本・・・<アルベルゲとは>‥・
アルベルゲというのは、スペインにおける巡礼宿のこと。
巡礼事務所が発行する巡礼手帳「クレデンシャルCredencial」を受付で提示すれば、誰でも割安で泊まることができる。
アルベルゲには大きく分けると、公営と民営がある。
公営アルベルゲは自治体や教会・信徒団が運営、そのため安い。だいたい4〜10€くらい。
食事は別料金で提供するところもある。たいていのところには、自炊設備がある。
その他、温水シャワー、ランドリーもある。
トイレはすべて洋式水洗。
各アルベルゲには受付時間、出発時間、ベッドの使い方等々、それぞれのルールがあり、巡礼者はこれに従う義務がある。
たとえば、受付時間が午後10時までとなっていても、宿泊者が定員(=ベッドの数)に達すれば、その時点で受付は閉鎖される。
アルベルゲにはオスピタレロ、と呼ばれる世話人がいる。
巡礼者はすべて、彼・彼女の指示に従わなければならない。
くれぐれも日本の民宿のような感覚で、サービスを要求しないように・・・
ベッドに関しては、たいていのところは二段ベッドである。
受付でベッドNo.を指示されることが多いが、たまに自由なアルベルゲもある。
毛布がある場合もあるが、ないところのほうが多いので、シュラフ持参が必須。
シーツ・枕カバーは、使い捨てのものを受付で渡される場合もあるが、ごくまれ。
それ以外のところでは、シーツ・枕カバーを極力汚さないように、配慮すること。
ベッドルームでの飲食は禁止。
厳粛なる儀式
2016年4月14日(木) 晴れ
=巡礼14日目= ビジャマヨール・デル・リオ(7:50)→トサントス(11:20) 10km
朝早いうちに通った古い町ベロラードは、なかなか興味深いところ。
教会尖塔の上にはいくつかのコウノトリの巣があって、実際、1羽のコウノトリが立ち上がっている姿を見ることができた。
また、狭い路地の上には、たくさんの手形があった・・・たぶん、有名人の。
ひとつひとつ、じっくりと名前を確かめる余裕がないのが残念、というか悲しい。
(こういう時に、一人旅だったらな〜と、思ったりする)
旅の同行者には、自分と価値観をできるだけたくさん共有できる人が望ましい、デス。
ワタクシの旅の目的(=価値)は、
・現地のいろいろな風景・空気に触れて自分の五感で楽しみたい
・道中で行き交う人たちや現地の人たちとの触れ合い・コミュニケーションを大切にしたい
・・・デス。
・・・・・・・・・・・・・・・・
本日の宿泊予定地トサントスには、昼前に着いてしまった。
公営アルベルゲの受付はまだ開いていなかったので、バルを探して昼食・休憩・・・で時間を潰した。
そのアルベルゲの受付オスピタレロは、30すぎくらいの比較的若いスペイン人男性。
欧米人にありがちな、その〜、若干オツムが薄い・・・(まあ、自分のオツムも似たりよったりなので、あまりひとのことは言えた義理ではござんせんが)。
彼はこのアルベルゲに住込みで、巡礼者たちの世話をしているらしい。
(これは、このあとの暇な時間に庭の椅子に腰掛けてボ〜としていた時に交わした会話から、わかった)
彼は片言の英語で一生懸命、ここでのルールを説明して、最後に
「以上、同意してもらえるなら、宿泊できますが?」
片言の英語しかわからない我々はもちろん、
「OK!]
ここでのルールは独特なもので、かなりユニーク。
宗教的儀式が苦手な人は、ここで「ゴメンナサイ!」(アイム ソリイ.グッバイ!)と言って、別のアルベルゲを探すことをオススメします。
そのルールとは、
・いわゆるベッドはなく、床に直接敷いたマットの上で寝る
・夕食・朝食はオスピタレロが作る
・食事は全員一緒に食べる
・夕食後、ミーティングに参加する
・宿泊料金は翌朝、出発時に「寄付」、できればメッセージも一緒に
まずは案内されたマット部屋で、シュラフを広げて寝場所を確保。
シャワールームは狭くて、汚そうに見えたので、パス!
建物の外の庭から、断崖に穿たれた教会らしきものが眺められる。
都会では滅多にお目にかかれない澄んだ青空のもと、なかなかの絶景・・・、と思う。
18時半からみんなで食事の準備。
メニューは、トマトベースのパスタと野菜サラダ。
小生にとっては禁断のクルミを、みんなで砕いている。
ワタクシはといえば、水をデキャンタに入れて、テーブルに置いただけ。
料理の最終仕上げは、3人のオスピタレロの仕事。
20時からみんな揃って夕食。
オスピタレロの挨拶で始まって・・・、本日のスケジュール連絡・・・、ワインは当然・・・ない!・・・
食事の最後はデザートとコーヒー。
その後、今日が誕生日の若い女性にサプライズ・バースデー・プレゼント授与。
みんなでハッピーバースデーを歌う。
夕食後、三階の集会室に集まって礼拝。
ギター伴奏つきの賛美歌合唱。
もちろん、何もわからない。
その後、日本語で誰かが書いたメモを渡された。
神への感謝の言葉等々。
全員がそれぞれの母国語で、順々に読み上げて、終わりに「アーメン」と言う。
無神論者の小生でも、厳粛な気持ちになる‥‥心が洗われる感じ。
22時消灯。
翌朝5時半まで熟睡・・・

砦跡かな?

尖塔の左手の巣に、コウノトリが立ち上がっているのがわかりますか?

不思議な手形がいくつもあるベロラードの狭い路地

最初は単なる落書きかと・・・

シラカバの花穂?公園で休憩・・・

ティロン川に架かる石橋

南方に雪山が見える・・・山名はわからない

宿泊したアルベルゲ・・・右側黄色壁のほう

村の教会と広場

断崖に穿たれた教会

今日はやけに飛行機雲が多い

教会広場の野良猫

教会広場から望む断崖の教会

床マットの「ベッド」・・・日本の山小屋よりはましかな?

ギターの名手と歌姫
ビジャフランカにて
2016年4月15日(金) 晴れのち雨
=巡礼15日目= トサントス(8:10)→ビジャフランカ・モンテス・デ・オカ(12:00) 7km
ウォーキング開始からもう2週間経った。
そろそろ帰国フライト便までの日程を逆算して、どこからマドリッドへ戻るか決めなければならない。
バスにしろ、列車にしろどちらにしても、マドリッド行きは大都市からしか出ていないことは、容易に想像できる。
田舎の村から都市に向かうバスの便も考慮する必要がある。
昨日泊ったトサントスでは、ブルゴス行きが一日一本だった。
この先、ブルゴスの次の大きな都市はレオンだが、その間180kmもある。
到底、レオンまで残りの日程でたどり着くのは無理なので、ブルゴスで今回の旅は終了、と決めた。
今日を入れて残り5日間で47kmを歩く距離となり、大幅にペースダウン調整。
1日平均10km弱と、小生のアキレス腱にも優しい日程となった。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は天気もまあまあで、なだらかな丘が続くのどかな道中。
ビジャンビスティア、エスピノサ・デル・カミーノといった静かな村々を通った。
時間があるので、エスピノサのカフェで大休止。
美しい教会尖塔があるビジャフランカ・モンテス・デ・オカには、昼頃に着いてしまった。
アルベルゲ・サン・アントン・アバドは立派なホテルに付属する形であった。
豪華なホテルのフロントで格安アルベルゲの宿泊申し込み、こんなのは絶対日本にはない。
アルベルゲのベッドルームは2タイプあって、シングルベッドと2段ベッド。
当然、安いほうの2段ベッドをチョイス。
シャワー・洗濯を済ませてから、途中で見かけたバルへ一人で出かけた。
トルティージャをつまみにビールと赤ワインで、まったりとした時間を過ごした。
もう午後2時に近く、他の客はいなかった。
ほろ酔い気分でホテルに戻り、ロビーの豪華なソファに腰掛けてスマホをチェックしていると、若いドイツ人がやって来た。
国連のユニックに勤めていて、今回6週間の休暇を取ってきた、らしい。
当然、サンティアゴまで歩く予定だという。
日本では普通、6週間の休暇はもらえないよ、と云うと不思議そうな顔をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の夕食は、雑貨屋から仕入れた簡単ミートスパ、電子レンジでチン。
ワインを飲んでいると、やっぱり酒好きが寄ってきた(食堂が狭いせいもあるが)。
スロバキアのオバチャン二人とオーストリアのジイサン、中国系アメリカ人のジイサン、計4人。
オバチャン二人は、ここまで1日平均35km歩いて来た、と云う。
しかも昨晩も同じメンバーで大酒を飲んだ、と・・・。
あやうく大宴会になりそうな雲行きがしてきたので、おやすみなさい、と退散。

爽やかな朝の草原?畑?

標高900mくらいの丘なので、天気は変わりやすい

ビジャンビスティア村の休憩ポイント

エスピノサ・デル・カミーノ村のカフェで休息。屋根にはクロウタドリの巣があるようだった

後から後からどんどん抜かれる・・・

何の遺跡かよくわからないが・・・、どんどん抜かれる

ビジャフランカ・モンテス・デ・オカの町並みが見えてきた

アルベルゲの洗濯物干し場から見る、ビジャフランカのサンティアゴ教会

女性二人は59歳と思えない健脚&酒豪
Coffee Break6
今回は飲み水の話。
さて、ヨーロッパに行ったら生水は飲むな、という話をよく聞いていた。
ヨーロッパの人は生水を飲まない、飲めないから代わりにワインを飲んでいるんだ、と・・・
実際、マドリッドのような大都会では、水道水はやばそうな感じもした。
しかし、カミーノを歩き出してから気づいた・・・ここは山岳地帯に近くて、すぐそばにきれいな水が流れている。
しかも、アルベルゲに泊まった欧州の巡礼者は、結構、水道水を自分のボトルに詰めているではないか。
水道水≒天然ミネラルウォーター
という図式が私の頭の中に出来上がり、以後、滅多にミネラルウォーターを購入することはなくなった。
その後、道中でも帰国してからも胃腸はなんともなかったので、カミーノ上の水道水はそのまま飲めるんだ、と思った次第・・・(保証はしませんので、念のため・・・)
オカの山を越えて
2016年4月16日(土) 雨
=巡礼16日目=ビジャフランカ・モンテス・デ・オカ(8:30)→サン・フアン・デ・オルテガ(12:20) 12km
朝から小雨・・・
天候のおかげでモチベーションがイマイチ上がらない。
昨晩の酒豪スロバキア人のオバチャン二人組は、今朝早く、真っ暗なうちに元気よく出発した。
結局、昨晩もワイン4本空けた、と云ってた。
恐るべしアルコール耐力!(体力?)
今日は難所のひとつ「オカの山越え」。
この先12km、民家がなく、水飲み場も休憩小屋もない、らしい。
雨の中、道端に赤っぽい可憐な花が咲く巡礼路を黙々と進む。
標高1165mのペドラハ峠には、1936年スペイン内戦で亡くなった人々のモニュメントが建っていた。
碑に書いてあることはわからなかったが、心の中でご冥福を祈った。
今になってみれば、人民戦線もフランコ軍もない・・・平和こそが一番尊い・・・。
下り道になってから雨が強くなったので、ほとんど休憩なしで歩いた。
サン・フアン・デ・オルテガの修道院が見えるころには、雨は小康状態となった。
巡礼路には大きな水溜りがいくつもでき上がっていて、かなり強い雨降りだったことを物語っていた。
・・・・・・・・・・・・・
アルベルゲ・デ・サン・フアン・デ・オルテガは修道院の建物の一部のような感じで存在し、さらに建物の端っこに一軒のバルが営業していた。
そのバルで軽い昼食を済ませ、アルベルゲの受付に行くと、すでに順番を待つ人たちの行列ができていた。
雨の中、次々と到着するペレグリーノ(巡礼者)たちは、みんな濡れネズミ状態で寒そう。
ふと気がつくといつの間にか、私の相方が小生の2、3人前に並んでいる。
彼の受付の順番が来た。
受付オスピタレロの女性が、彼に丁寧に説明している。
彼は意味がわからないようで、はあ? という顔つきで中腰状態のまま硬直・・・
受付の女性はどうすることもできず、困った表情で硬直・・・
受付の流れが止まって、列が少しざわついた。
彼の後ろの男性ペレグリーノが仲間のほうに振返って、
「コーリヤンだ」
ヤレヤレ、という表情で囁いた。
私はとたんに不愉快な気分に襲われ、相方に向かって云った。
「夕食を含めて15.5ユーロと云ってるから、さっさと払って!」
私は、別に彼女が喋ったことをすべて聞いていたわけでもなんでもなく、彼女がテーブルの上のメモ用紙に書かれた15.5という数字を指して固まっているから、推察しただけであるが・・・・・・
ベッドは午後3時頃にはほぼ完全に埋まった。
広いベッドルームは、寒さと照明の暗さと濡れた衣類や小物のせいで陰気臭かった。
・・・・・・・・・・・・・
今日は土曜日ということもあってか、スペインの若者も結構いた。
小生の上段ベッドにその一人がいて、マナーが悪い。
そのベッドに仲間2人で腰掛けて足をブラブラさせながら、隣の上段ベッドにいる若い女性にさかんにアプローチしている。
しかも、その女性といったらベッドの上でクッキーをボリボリと食べながら、食べかすを下の床に落としている。
私はかあーっと頭にきたが、・・・ここは外国、ここは外国・・・と自分をなだめた。
そして、「ここ、私のベッド」
と、ブラブラ足で塞がれた小生のベッドを指差しながら、精一杯の嫌味を云った(^_^;)(・・・つもり)。
夕食は受付時に予約、8.5ユーロでワインなし。
夕食時間になるとどこからか発泡スチロールの箱で配達されてきて、同じ建物の一階のホールにて頂いた。
よく見ると壁にボトルワインの値段が貼ってあった。
確か4€くらいと安かったが、いろいろと面倒くさくなったのでこの日は珍しくアルコール抜き。

出発を待つブーツ達・・・アルベルゲ・サン・アントン・アバドにて
朝のレストランの薪ストーブ・・・ホテル・サン・アントン・アバドにて


オカの山からの展望・・・雲がなければ看板のように・・・

スペイン内戦の慰霊碑に合掌・・・

まだまだ山越えは続く・・・前方には虹が・・・

雨の中でも若者たちは元気

アルベルゲ・デ・サン・フアン・デ・オルテガの中庭の回廊

古い時代の教会敷地から発掘された洗礼盤が、中庭に展示されていた

夕方になると青空が出たのでひなたぼっこ・・・靴下を乾かしながら
Coffee Break7
今回はマドリッドからスペイン国鉄Renfeの快適な長距離列車に乗って、国境の町イルンに着いた時の話。
地図で見ると、国境の川を挟んでスペイン側がイルンで、フランス側がアンダイエという町。
Renfeの管轄はイルンまでで、その先はフランス国鉄に乗り換えだ、となぜか思い込んでいた。
で、イルンに到着した時、乗り換えだと考えて、ザックを担いでホームに下りた。
改札口をさがして地下道に向かっていると、その地下道から上がってきた中年3人組が、慌てた様子で我々に何か云っている。
「外国語が何かわかるか?英語か、ドイツ語か、フランス語か?」
と云っている様だ。
「イン イングリッシュ プリーズ!」
と返事をした。
すると、「どこまで行くのか?」と聞く。
「アンダイエまで」と答えると、なんと
「すぐに列車に戻れ!これはアンダイエまで直接行くぞ!」
さらに、もう一人が叫んだ。
「この列車に乗っていれば、アンダイエまで5分で着く。急いで戻るんだ!」
どうもありがとう!
と、お礼を云って、慌てて列車に戻るとすぐに列車が動き出した。
こうして間一髪、大変な時間ロスをするところを親切な人々のおかげで助かった。
よーく思い出してみると、始発のチャマルティン駅の電光掲示板には確か、
IRUN/HENDAYE
と表示されていた。
なあーるほど、こういう意味だったのね・・・
ちょっとした「事件」
2016年4月17日(日) 曇りのち晴れ
=巡礼17日目= サン・フアン・デ・オルテガ(8:20)→アタプエルカ(11:15) 7km
朝の出発時、玄関で一人の長身の日本人に会った。
昨日は「オカの山越え」で吹雪に会い、寒さで大変な思いをしたそうだ。
我々は通過時間帯が午前中だったので、難を免れたようだ。
今日はアタプエルカまでのショートディスタンスゆえ、のんびり歩く。
アヘス村のカフェでも大休止。
村の教会もぐるりと一回り歩く。
・・・・・・・・・・・・
アタプエルカのアルベルゲ・エル・ペレグリーノには早く着いたので、受付がまだ閉まっていた。
散策と昼食で受付までの時間をつぶした。
ここは、こじんまりとした清潔な感じがするアルベルゲ。
庭の広い芝生が目に鮮やかで、ワンちゃんが悠々と昼寝をしている。
シングルベッドの部屋は4人定員で、ほぼ快適。
私は、家々の庭をカッコウかなにか、割りと大きな野鳥が飛びまわっていることに気がついて興味津々。
シャワー・洗濯・夕食材料の買出し後、一人で静かな村を散策した。
この時、小生のいないアルベルゲでは些細な騒動が起きていた(らしい)。
・・・・・・・・・・・・
散歩から戻ると、相方が「ちょっとした事件があった」と云う。
聞くところによれば、彼が購入してきてアルベルゲのキッチン冷蔵庫に入れておいた、サン・ミゲルの1リットル瓶ビールとヨーグルト1個がなくなった。
それで、彼は「ビールがない!ヨーグルトがない!」と騒いだらしい。
(ここで、アルベルゲのキッチンについて少し解説。一般的にアルベルゲのキッチンは、巡礼者が共用で使用可能。大抵のところの付帯設備として、冷蔵庫、電子レンジ、IHヒーター、鍋・食器類が備わっていて、譲り合って使うことになっている。)
この時、近くにいた巡礼者の女性が、親切にも他の巡礼者たちにビール等紛失の件を尋ねて回ってくれたらしい。
その結果、あるグループが間違えて飲んでしまったことが判明。
その代償として、彼は10ユーロ貰った、ということだ(サン・ミゲルの1リットル瓶ビールはどこかの町のスーパーでは3〜4ユーロだったような気がするので、10ユーロは明らかに貰い過ぎだが・・・)。
以上を聞いて私は、「まあ、わかってよかったじゃない」と云って、それ以上あまり気にも留めなかった。
ところが、話はこれでおしまい、ではなかった・・・
その夜、寝る前の時間のベッドルームでのこと。
相方が歯磨きのため部屋を出ると、同室のアメリカ人女性が遠慮がちに私に云う。
「あのー、ひとつ質問をしたいのですが・・・」
「はい、どうぞ」
「あなたの友達はどうしてこのカミーノにいらっしゃったのですか?」
「えっ、私の友達?」
「イエス」
私は小生のことではなく、相方のことを聞かれて少し訝しげに感じた。
こういう場合、普通は目の前の相手のことを聞くだろう・・・
が・・・、昼間の「事件」のことをすでに聞いていたので、何かそれに関連して言いたいことがあるようだと推察した。
そこで、彼がこのカミーノに来た理由を面白おかしく、知る限り正確に答えた。
つまり、彼はウォーキングが好きで、日本でもよく歩いていること。
さらにウォーキングの後、一日の終わりに酒を飲むことが大好き。
一日中、歩いてから酒を飲んで、寝る。
翌日も、1日歩いて、酒を飲む。
これが彼の幸せなんです、と・・・
彼女は笑ってそれ以上何も云わなかった。
おそらく彼女は真面目な巡礼者で、昼間の「事件」の相方の行動・態度を見て、何か巡礼者とは異質なものを感じ取ったのでは?
小生も何か面倒なことに巻き込まれたくなかった思惑もあり、また、言葉の問題もあって、それ以上、逆に質問もせず、おやすみなさい・・・、とシュラフにもぐった。

今日の行程は短い・・・・・・

アヘス村のバル、エル・アルクィミスタで大休憩・・・

ここにも教会尖塔上にコウノトリの巣がある・・・アヘス村にて

古い巡礼路の石橋がいたる所に残っている・・・アヘス村にて

舗装道路の端っこを歩いているが、両側は青々とした畑

アタプエルカの古い教会

最初は木で作ったのかと・・・確かめるとブリキだった牛

歩く距離が短いと、昼食でついビールを・・・魚のトルティージャ(スペイン風オムレツ)、ア セイツゥナス(オリーブの実)、フランスパンで4.4ユーロ


このアルベルゲにはテラスがあり、芝生の庭も広くて気持ちがいい

昨日歩いたのは、あの雪山の左手あたりの山かな・・・
霧の中の山越え
2016年4月18日(月) 曇りのち晴れ
=巡礼18日目= アタプエルカ(8:30)→カルデニュエラ・リオピコ(10:45) 7km
アタプエルカの朝は、少しひんやりと肌寒い。
山は靄の中で見えない。
ここは標高970mくらいある。
朝食は村の雑貨屋兼カフェ兼バルにて、コーヒーとパンだけで済ませた。
今朝はカッコウの鳴き声を聞きながら、霧の中の山道を登る。
両側は山羊の牧場。
最高地点標高約1070mの場所に、木製の大きな十字架あり。
霧の中で寒いので、休憩もそこそこに山を下る。
カルデニュエラ・リオピコ村には早く着いたので、少し早いがバルで昼食。
トルティージャとオリーブをつまんで、生ビール1杯とワイン2杯で、9ユーロ。
12時、アルベルゲ・ムニシパルに投宿、5ユーロ。
ここのアルベルゲは少しカビ臭い。
本日は合計4人で貸し切り状態。
夕食は午後7時からバルにてペレグリーノ定食(ワインつき)、8ユーロ。

アタプエルカ「原人」?

牧場の丘を上る
