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カミーノ・デ・サンティアゴ

Camino De Santiago

スペイン語で「サンティアゴの道」という意味です。

カトリック3大聖地の1つ、スペイン西部の町、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩く、巡礼の旅・・・・・

プロローグ

(動機)

 

なぜカミーノ・デ・サンティアゴなのか?

 

2015年エベレスト街道トレッキングから帰国後、ネパール大地震が発生。

そのせいかどうか、自然とネパール以外のトレッキングに、目が向くようになったのデス。

 

世界各地のトレッキングをインターネットで調べていると、

  「スペイン巡礼の旅をひとりでやっている日本人が少なくない!」

ブログもたくさんあり、興味を引くのもいくつかあった。

 

・・・・・気の向くままに歩く旅だし、予約なしでも、泊まるところに困ることもまずなさそうだし、

・・・・・スペインの田舎料理は美味そうだし、毎晩、バルでワインも安く飲めるし(ワインも好き)、

・・・・・信仰心が希薄でも、特に問題はなさそうだし、

・・・・・巡礼者同士のコミュニケーションは、下手くそな英会話でも何とかなりそうだし、

・・・・・道中の宿泊、食事、ワイン等、一日の費用は30€で何とかなりそうだし、

・・・・・しかも、往復航空券手配やマドリードのホテル予約等々、すべてを自分で準備すれば、総額費用も格安で済みそうだし、

 

・・・・・うむ、これは行くしかない。

 

(準備)

 

ということで、

まずは、「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」より、巡礼者手帳とガイドブックを入手。

ガイドブックとインターネットからいろいろな情報を仕入れて、吟味。

その結果、

 

 出発地⇒ フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポー

 ルート⇒ オーソドックスな「フランス人の道」、総距離780km

 出発時期⇒ 春

 

に決定!

 

セントレア〜マドリード往復航空券は、インターネットにて某大手から 85,000円 で入手。

マドリードでは、ホテルより格下のオスタル宿泊にして、 43€(ダブルルーム)

 

出発地までは鉄道移動とし、

 マドリード・チャマルティン→イルン/アンダイエ スペイン国鉄の在来線 22.20€

 アンダイエ→バイヨンヌ フランス国鉄 7.90€

バイヨンヌにてオスタル宿泊、42€(ダブルルーム)

 

翌日、バイヨンヌ→サン・ジャン・ピエ・ド・ポー フランス国鉄 10.10€

 

長距離列車は予約したほうが良さそうなので、スペイン国鉄RenfeのHPから予約。クレジットカードで決済。

ついでに、Renfeのユーザー登録も完了。iphoneアプリで列車予約、予約照会も可能にした。

オスタル予約のほうは、 Booking.com で、こちらもiphoneアプリで予約管理、検索等が可能。

・・・・・便利な世の中になったもんだ。

 

・・・と、簡単に書いたが、ここまでくるのにずいぶん下調べもしたし、試行錯誤して時間もかかった(^_^;)

 

まあ、あとは実際に現地に行ってみて、何ごとも問題なくスイスイといくか、てとこかな?

日本で発行の巡礼手帳(クレデンシャル)。

現地でも発行してもらえるが、やはり日本語で書いてあるほうがわかりやすい。

縦に8ページの蛇腹折り。

中のページには、個人情報欄と各地のアルベルゲ(巡礼宿)にて、通過の証明のスタンプを押してもらう欄がたくさんある。

フランス人の道

巡礼者としての登録/サン・ジャン・ピエ・ド・ポー

右手前の建物が巡礼事務所、壁の黄色のホタテ貝マークが巡礼事務所を示しているらしい。巡礼路を示す青地に黄色のホタテ貝マークとは明らかに違う。

2016年3月31日(木) 雨

 

雨の中、バイヨンヌからバスにてサン・ジャン・ピエ・ド・ポー駅に到着。

バス下車後・・・・・・いろいろあって、一緒にバスを降りた人たちを見失い、そして・・・道に迷った。

・・・が、何人かに尋ねて、何とか巡礼事務所を探して、登録・説明を受けた。

 

ここで、危惧していたことが現実となり、大ショック。‥‥楽しみにしてきたナポレオンルートは、危険のためまだしばらく閉鎖続行中、とのこと!

要するに、積雪のため危険箇所になっており、通ってもらっては困る、ということらしい。事前情報では近年、積雪期の遭難事件が相次いだらしい。


結局、国道N-135沿いのルートを行くことになった。
大雨の中を歩いて行くつもりは全くないので、この日はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーのアルベルゲ(巡礼宿)に泊まった・・・・・10€、朝食つき。

 

このアルベルゲは、建物自体はかなりの年代物。設備もトイレ・シャワー以外は老朽化している。

一部屋二段ベッド✕8台、外が雨のせいか、室内も湿気て陰気臭い。

地階にもう一部屋あり、二階には世話人の老夫婦が住み込んでいるらしい。

 

この町は城壁に囲まれて、時代の匂い漂う、雰囲気がいい感じ。
強風と雨の中、歩いてスーパーマーケットを探し、電子レンジ食品とワインを購入。

アルベルゲに帰って、相方と前祝いの祝杯を上げていると、いろんな国の酒好きがワインを持って集まってきて、おしまいには大酒宴となってしまった。
‥‥酒は人種の壁を乗り越える‥‥

登録の順番を待つ。

巡礼事務所では3名の係員(テーブルの向こう側)が対応。クレデンシャルに出発地のスタンプと日付を記入してもらう。

酒好き人種に国境の壁なし・・・・・・フランス、ドイツ、フィリピン、スペイン、オーストリア、そして日本

ピレネー山脈を越える

2016年4月01日(金) 曇りのち晴れ

 =巡礼初日=  サン・ジャン・ピエ・ド・ポー(8:20)→バルカルロス(12:40) 14km

 

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの城門から出発。

本日は、巡礼事務所の爺さんの指示どおり、バルカルロスまで。

国道D128沿いのハイキングコース。

慣らし運転の感じで、距離は短め。

 

羊や山羊の牧場が続く、のどかな景色の中をのんびり歩く。 野鳥はカケス、シジュウカラ、ヒタキなど、日本とほぼ同じ。

姿はカラスと似ているが、綺麗な声で鳴くシンギングバードが、「ヨーロッパだぴー」と鳴くので、南欧を実感する。

 

13時前に、目的地のアルベルゲに到着。オスピタレロが不在のため、みんな勝手にベッドを選択してくつろいでいる。朝食つき10€。

 

しばらくしてのち、相方の「メガネ紛失」騒動勃発!

相方は大騒ぎして、行った場所すべて・・・スーパー、銀行、そこに至る小道等々・・・を捜したが、見つからず。

 

結局、その後、韓国3人組おねえさま方が到着して、その一人がオスピタレロに相方の二段ベッド上段を指示された時に、ベッドの上にそれを発見。事なきを得た。

 本人は最後まで自分が置き忘れたことを認めなかった・・・・・・

 

夕食は自炊。といっても、電子レンジにてチン、の簡単ミートスパとサラダ、・・・とロゼワイン。

サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの城門を出たところを流れる川

バルカルロスの町が見えてきた

アルベルゲ前から望む牧場風景

2016年4月02日(土) 晴れ

 =巡礼2日目=  バルカルロス(8:15)→ロンセスバージェス(13:30) 16km

 

早朝、目が覚めてキッチンに行くと、韓国三人組おねえさまの一人がテーブルに向かい、何か書きものをしている。・・・・・・と、突然、突っ伏してオイオイと泣き出した。

あまりの状況に唖然としたが、こういう時は泣きたいだけ泣いたほうがええ・・・

 

さて今日は、いよいよ本格的なピレネー山脈越えが待っている。心して、アルベルゲを出発。

国道N-135沿いではあるが、ホタテ貝と黄色矢印に導かれて行くと、ちゃんとしたハイキングコースが巡礼路として整備されている。

 

全体的にはなだらかな上り道。日本の登山道のような急登はない。

ピレネー山脈の綺麗な水が流れる、渓流の横を歩くのは、実に気分がいい。

50分歩いては5分くらいの休憩を入れて、確実に標高を上げていく。

雪山が見えてきて、最高地点の峠が近いことがわかる。

 

峠に出る最後の坂道では、もの凄い強風。

軽量級の小生は吹き飛ばされないように、重心を低くして踏ん張って歩く。

イバニェタ峠、標高1040m。このルート上のピレネー山脈最高地点。

強風の下、古い教会が建っているが、今はほとんど使われていないように見える。

 

峠を越えると、風はぴたっと止み、穏やかな樹林帯。まだ、新芽は出ていない。

後方の雪山を時々振り返りながら行くと、やがて村はずれの大きな教会に着いた。

今日は、ここの付属アルベルゲに宿泊。

 

週末の休日ということもあってか、かなりの人が宿泊手続きを待っている。

スペインでは、ここロンセスバージェスから巡礼を始める人が多い、と聞く。

宿泊12€、夕食10€、朝食3.5€。

 

このアルベルゲはかなり大きくて、設備も近代的。

二段ベッド✕2台で一つのコンパートメント風に設計されている。ベッド数183。

 

出発は国道を歩く。

放し飼いのロバが見送り。

ホタテ貝と黄色矢印で示される巡礼路

ピレネー山脈からの清冽な流れのほとりを行く

もうすぐ峠、ピレネー山脈越え

イバニェタ峠にある古い教会

振り返れば、ピレネーの雪嶺

比較的新しいドミトリー。鉄筋コンクリート3階建て。

ちなみに、ベッドルームでは飲食禁止。騒がないこと。

当然、男女別ではないが、公序良俗に反する行為はダメ。

といっても、欧米と東洋ではおのずと価値観が微妙に異なるかも?

小生の隣のベッド上段では、若いカップルが同じベッドで寝ていた(もちろん、それぞれの寝袋で・・・)

夕食は19:00〜20:00、近くのレストラン「ポサダ」にて、巡礼定食。前菜:スープ、メイン:肉またはフィッシュ、デザート:ケーキまたはヨーグルト。各テーブル2本のボトルワインつき、もちろん一滴も残さず、いただきました・・・隣のテーブルの余った分まで(^^ゞ)

標高差500mのアップダウン

2016年4月03日(日) 晴れ

 =巡礼3日目=  ロンセスバージェス(8:15)→スビリ(16:30) 22km

 

アルベルゲの朝は早い。たいていのところは、朝8時までに出発するのがルールだ。

朝食を7時で予約したが、レストランのコーヒー係は1名、かつ一杯づつドリップ方式(機械)で淹れるので、長い行列ができて時間がかかった。

結局、アルベルゲを出たのは8時ぎりぎりで、最終組。

 

ここから標高450mのパンプローナまでは、アップダウンを繰り返しながら、500mの標高差を下る。

100m上っては200〜300m下るところが、2個所ある。これを2日で行くのは、ジイさんにとっては、かなりきつい行程だ。

 

歩き始めてすぐ、フランスの老夫婦と話友達になる(あとで夫婦ではなく、友達だと言われたが・・・)。ほどなくして、小さな村ブルゲーテを通過。
この村は文豪ヘミングウェイがマス釣りのために滞在したことで有名らしい。
村はずれから森が始まり、いかにもマスがいそうな小川がたくさんある。昔、アマゴ釣りに夢中になった経験があるので、いい落ち込みがあると、思わず足が止まる。
ヘミングウェイはエサ釣りだったのか、フライかルアーか、などと考えるうちに次の村エスピナルに到着。
 
牧草地や森の中のアップダウンを繰り返し、いい加減にへばったところがエロー峠。エロと聞いて口元が緩むのは、ワタクシだけ?
ここには移動販売車がいて、飲み物を売っていた。巡礼スタンプももらえるようだったが、ザックからクレデンシャルを出すのが面倒なのでやめた。
 
ここから標高差250mを一気に下り、石橋を渡ってようやくスビリの町に入る。橋のほとりから小さなアルベルゲがあるが、ここまで来るとみんな疲れているのか、近いところから満員になっていく。
国道に突き当たり、右折して最初に見えたアルベルゲに空きがあり、投宿。
ここで、スペインに来て3人目の日本人に遭遇。ひげもじゃの若者。韓国女性二人と同じグループの様子。
 
時間も遅くなり、夕食タイム。今日は日曜日。スーパーマーケットは14時で終わりなので、バルへ行く。
表の看板になんとかセットニューというのがあったので、それを注文すると、かわいい店員女性が「ノー」と言う。
その理由をスペイン語で一生懸命説明してくれるのだが、当然、さっぱりわからない。どうやら今の時間帯は適用外ということは理解できたが、相方はその理由がわからないと言って、なおもしつこく聞く。
奥にいる女店主の顔がだんだん険しくなるのが、小生にはわかる・・・。ゆえに、強引に話の幕を引いた。
ビール一杯と赤ワイン、ツナサラダ、ピンチョス、フランスパンで13ユーロ。

 

昨日泊まったアルベルゲと教会

ヘミングウェイの常宿だったというホテル

建物の壁のホタテ貝マークが巡礼路であることの目印

山の斜面にSOS!意味がよくわからないです。

分かれ道には必ずホタテ貝マーク

色の黒いヤギ?ヒツジ?

昼食をとったカフェ。ボカディージョとコーヒーだけ。

エロー峠の移動式カフェ

やっと着いたスビリの町の入り口の石橋

2016年4月04日(月) 雨
 =巡礼4日目=  スビリ(8:20)→ラ・トリニダッド・デ・アレ(15:30) 18km
 
昨日の午後から、右足アキレス腱の動きが硬くなり、今日中のパンプローナ到着を諦めた。

 

アルベルゲを出てから最初の休憩中に、雨が降り出す。上下セパレーツのゴアテックス雨具とザックカバーで雨対策。

欧米の人たちは、足首まで隠れるポンチョが多い。これだとザックの上から丸ごとかけられるので、手間はかからない。しかし、蒸れるのでは?

 

写真撮影は諦めて、一眼レフデジカメをザックに収納。

川沿いの道をひたすら歩く。

昼食をとったカフェは、カッパのしずくで湿気ていて気分はイマイチ・・・・・・

 

ラ・トリニダッド・デ・アレの手前、旧道の山道から川を見下ろす風景はなかなかいい。

しばらく行くと、小雨の中、傘もなしで、一人のおじさんが道端で果物や飲み物を売っていた。

バナナ一本購入・・・1€。

その後、ストック一本を拾う。どうやらザックに括りつけたものが、緩んで落ちたらしい。

 

アレの町の入り口の川沿いに、古い教会とアルベルゲがあったが、ここはパス。

地元の人に聞いて、別のアルベルゲに宿泊。

ここは比較的新しく、設備も近代的。

一部屋に二段ベッド2台とシングル1台。同宿者はガリシア州のスペイン人。

 

ここのオスピタレロは比較的若い三名、みんな親切。一番若い女性が日本に興味があるらしく、パンフレットの日本語版を作りたいと協力を依頼された・・・もちろん、快諾。

 

夜、右手親指の皮膚がパックリと割れているのに気づいた。一日中、雨の中に素手をさらして皮脂がなくなったようだ・・・ハンドクリームを塗り込む。

 

昨日泊まったアルベルゲ

振り返りながら見るスビリの町並み

時々、道標の上にトレッキングシューズがある

マグネシウム工場敷地内を流れる小滝

カフェ前に置かれた巡礼者のモニュメント

カフェの看板娘

ペルドン峠越え

2016年4月05日(火) 晴れ

=巡礼5日目=  ラ・トリニダッド・デ・アレ(8:30)→ウテルガ(17:00) 21km

 

ラ・トリニダッド・デ・アレからしばらくの間、自動車道を歩く。

パンプローナは、巡礼路で最初の大都会、人口は20万らしい。

歴史を感じる狭い市街路を抜けると、大聖堂の向こう側には大きな公園があった。

 

パンプローナ市街地の端に広いナバーロ大学があり、左手の石橋を渡ると、その先は基本的に麦畑の大地となる。

緩やかな上り道で、両側は青々とした畑が広がり、気持ちがいい。

 

ペルドン峠手前のサリキエグイ村で休憩を入れてから、峠道を上る。

稜線上には風力発電のプロペラが並ぶ、壮大な景色。

峠に近づくと猛烈な風。そのため、峠では休憩せずに下り道へ。

 

石がごろごろしている歩きにくい道・・・・・・と、視界の右端を何かカラフルな物体が通り過ぎた。

寝袋だった。前方を歩く女性の落し物だと気づき、大声で呼び止める・・・「セニョリータ!」

 

いい加減へとへとに疲れた頃、ウテルガ村に到着。

もう、最初のアルベルゲに投宿。バルに併設のタイプは初めて。

夕食準備の手間が省けて、大変重宝。

 

左手の電灯がついているところが、アレで泊まったアルベルゲの玄関

パンプローナの城壁が見えてきた

アルガ川のマグダレーナ橋を渡って、右手を進み城門をくぐる

牛追い祭りでは、この狭い街路を牛が走り抜けるらしい!

ナバーラ大学をあとに石橋を渡ると、パンプローナとはお別れ

緩やかな麦畑の上り道で、時々菜の花畑が現れた

ペルドン峠へのきつい上り坂で、振り返ればパンプローナ市街が見える

標高780m、ペルドン峠は風がすごかった。巡礼者のモニュメント

稜線上に並ぶ風力発電の巨大なプロペラ

峠からの下り道、ナバーラの大地が一望できる

ウテルガ村が近い

ウテルガ村で投宿したバル兼アルベルゲ

2016年4月06日(水) 曇り時々晴れ
 =巡礼6日目=  ウテルガ(8:00)→ロルカ(15:40) 20km

 

今日は一日を通して、穏やかな天気。昼の日差しは強い。


ランチのあとは、右足アキレス腱が硬くなり、牛のようにノロノロと、麦畑、ブドウ畑、オリーブ畑の中の小道を歩いた。
天国というものがあるなら、こんな感じかな?

 

ロルカという村のアルベルゲに泊まる。

宿泊7€、夕食10€、朝食3€。

夕食は、会社を退職してカミーノにやって来た韓国青年と一緒。

オバノス村の教会尖塔

教会広場の門

オバノス村郊外

プエンテ・ラ・レイナの町の入り口にある巡礼者像「ここからすべての道はひとつとなり、サンティアゴへと向かう」

プエンテ・ラ・レイナの教会尖塔

プエンテ・ラ・レイナの古い町並み

プエンテ・ラ・レイナの町の出口にある「王妃の橋」門

巡礼路でよく見かけた黒いナメクジ

アルガ川沿いの小道を行く

マニェル村入り口

マニェル村郊外

遠くにシラウキ村が見えてきた。丘全体が町なので「天空に浮いているような」状態

暑くて初めてランチに缶ビールを飲んだ

シラウキ村郊外にある「世界地図」草原

木の高さが日本とは全く異なるブドウ畑

ロルカ村近くのアーチ型石橋

左手奥が今晩のアルベルゲ

エステージャからワインの泉へ

2016年4月07日(木) 曇り時々晴れ時々小雨
 =巡礼7日目=

 ロルカ(8:20)→エステージャ→イラーチェ→ビジャマヨール・デ・モンハルディン(15:15) 19km

 

今日は一日、基本的に曇り空。

時々、日が射すかと思えば、小雨のときもある、きまぐれな天気。

本日のメインイベントは・・・・・・イラーチェのワインの泉を訪れること。

 

アルベルゲ出発から約12km。

それはエステージャを過ぎて、本来の巡礼路から左手にそれて、・・・・・・あった。

ブドウ畑に囲まれて、近くには古い修道院もあり、なかなかいい雰囲気。

ワインの泉といっても、ワイン醸造所のワイン無料サービスのこと。

蛇口をひねると、赤ワインがチョロチョロと出てくる(水道水のようにジャーとは出ません・・・・・・念の為)。

 

その後、たった一杯のワインでも足が重くなり、ノロノロと麦畑、ブドウ畑、時々、村を通過。
エステージャ以外は田舎の村、という感じ。どの村にも、歴史を感じさせる教会の尖塔がある。


右足アキレス腱がギブアップする頃、美しい教会尖塔がある、モンハルディン村のアルベルゲに投宿。

今日もホタテ貝の印に導かれて、小麦畑の小道を行く・・・

本日の宿泊予定地は、遠くに見えるピラミッドピークの山のふもと・・・遠いなあ

ビジャトゥエルタは閑静な住宅街、人懐っこいワンちゃんが一人でお散歩

必ずアーチ型石橋がある

エガ川を渡る

ナシ?の白い花

リードから解放されたラプラドールが大喜びでお散歩

シシウドと放牧馬

エステージャの町の入り口にある聖墳墓教会の一部

社会見学の中学生一団と会う

有名らしい聖ペドロ・デ・ラ・ルア教会は前を通っただけ

町はずれの城門

懐かしい日産ミストラルのショートボディがあった。欧州名はテラノⅡだったか。愛知県ディーゼル規制に引っかかるまで、これのロングボディに乗っていた。

向こうの修道院の右手前が「ワインの泉」

巡礼者のための「ワインの泉」

スペインに限らず、欧州では普通に見られるクロウタドリ。遠くからでもそれとわかる、綺麗な大きなさえずりが特徴。ツグミ科なので日本のツグミと形は似ている。

ピラミッド型の山がずいぶん近くなった

モモの花とアケスタ村

透明な水が湧く「モーロ人の泉」

今日の宿泊地、ビジャマヨール・デ・モンハルディン村の入り口

バルの夕食は19時からなので、早めに軽食と赤ワインで済ます。Vino tinto,uno.

2016年4月08日(金) 曇り時々小雨・
 =巡礼8日目= ビジャマヨール・デ・モンハルディン(8:30)→トレス・デル・リオ(14:40) 20km
 
朝から小雨模様のため、一眼レフカメラをザックにしまう。今日は写真を半分あきらめる。
 
出発から約12km先のロス・アルコスまで、大きな村はなし。したがって、休憩できるカフェもなし。
ブドウ畑と小麦畑のなだらかなアップダウンのある小道を、ひたすら歩く。
 
途中、坂道を下ったところで、道を間違えたことに気づく。
ホタテ貝の印が・・・この間・・・まったく・・・ない!・・・
30分以上のロス。左に90度曲がるべきところを、気づかずにまっすぐ行ってしまったのだった(T_T)
 ・・・・・・
ロス・アルコスは立派な教会がある町。中心の広場はオープンテラスになっている。
バルにてポテトのトルティージャとカフェ・コン・レチェ(カフェ・オ・レ)で昼食・大休憩。
 ・・・・・・
トレス・デル・リオ村に入るには、急な坂道を下って石橋を渡る。

村は丘の上に築かれているので、また急坂を上り返す。
アキレス腱の疲労がすでに今日の限界を越えているので、きつい。


投宿したアルベルゲの前のオープンテラスでは、みんなの拍手で歓迎された。ちょっと感動的。

よほど疲労困憊の姿に見えたに違いない(^_^;

 

薄日がさして虹がかかるブドウ畑の丘

休憩しているとどんどん抜かれる・・・が、気にしない

ロス・アルコスのサンタマリア教会とオープンテラス

小麦畑の小道を行く・・・遠くにサンソル村が見えてきた

やっとたどり着いたトレス・デル・リオ村の入り口

宿泊したアルベルゲ・・・到着の際にこの皆さんに温かい拍手を頂きました

トレス・デル・リオの珍しい八角形の教会

2016年4月09日(土) 曇り
 =巡礼9日目= トレス・デル・リオ(8:00)→ログローニョ(15:30) 20km
 
昨日、洗濯物を1階のランドリーエリアに干しておいたら、昨夜の夕食中に鍵をかけられてしまった。
今朝はそのためドタバタして、出発がダントツの最後・・・
 
今日も11km先のビアナまで、大きな村はなし。

ブドウ畑と小麦畑の丘陵地帯を上ったり、下ったり。

・・・・・・
いい加減疲れた頃に、町の中心に教会尖塔があるビアナに到着。

ボカディージョとカフェ・コン・レチェで昼食・大休憩。
 
その後、大平原を眺めつつ歩き続けて、やっとログローニャの町が見えてきた。

・・・・・・
大きなエブロ川に架かる、大きなピエドラ橋のたもとで、疲れて座り込む一人の青年がいた。チェコから来たらしい。


もう財布が底をついたので、サンティアゴはあきらめて国に帰る、チェコの経済は問題がある、というようなことを喋っていた。
話がややこやしくなりそうだったので、サヨナラして石橋を渡って町に入った。
 
一軒目に入ったアルベルゲは公営ではなかったので、ゴメンナサイ、と退散。
警察署の前の公営アルベルゲに投宿。
 
シャワー、洗濯を済ませた後、夕食材料を遠くのスーパーまで買出しに行って、簡単な自炊。

ついでに、酒屋で一番安いワインオープナーも調達。

 

ログローニョはラ・リオハ州の州都。中心地の広場には、人々がたくさん溢れていた。
まだ夕方なのに、酔っ払いやら、なにか危なげなおっさんが叫んでいたりする。
病んだ町、という印象。


 

トレス・デル・リオの村をあとにする。この時期の夜明けは遅い。曇り空だと8時過ぎても薄暗い。

ちょっとした峠に、日本の「賽の河原」のような石積みが・・・・・・

標高500〜600mの丘陵地帯ゆえ、結構アップダウンが続く。

この区間の巡礼路は、国道N-111と何度か交差している。

遠くに雪山が見えてきた・・・名前はわからない。

石積みの窯跡?

休憩できる場所は少ない・・・

やっとビアナの町に到着

町の中心のサンタ・マリア教会

ログローニョへと続く大平原

エブロ川とピエドラ橋

2016年4月10日(日) 晴れ
 =巡礼10日目= ログローニョ(8:00)→ナバレッテ(13:00) 13km 
 
朝8時、アルベルゲの外の街角風景はまだ薄暗い感じ。
右足アキレス腱の不調により、今日はペースダウンを決めた。
一日20kmペースではこの先何が起きるかわからない、という不安が大きい。
準備運動のストレッチングを入念に行って、いざ出発・・・
 
ログローニョ市街地はまだ半分眠っている。
今日の天気はよさそう。
公園からの橋で、鉄道線路を横切った。
線路を見たのは、今回の巡礼路で初めて。
 
郊外の公園から、立派なジョギングコースを歩く。
次々と、ジョギングやウォーキングを楽しむ市民と出会う。
都会だ、と実感する。
田舎町では、まずジョギングをする人は見ない。
 
ナバレッテは古い教会のある、小さな町。
歴史を感じさせる古びた町並みもあれば、新しい建物が並ぶ通りもある。
公営アルベルゲはまだ開いていなかったので、近くのバルで軽い昼食(生ビールも)。
・・・・・・
シャワーを浴びてから、町の散策。
立派な教会は、入場無料だったので中を見学。
あまりに見事な内部の装飾美に、思わずカメラのシャッターを切り続けた。

左手の建物が泊まったアルベルゲ

サンティアゴ教会正面の彫刻

郊外へ抜ける途中の街角

公園で一休み

立派なジョギングコース・・・舗装路は足にこたえるので、巡礼者はたいてい端っこの土の上を歩く。

グラヘラ貯水池周辺はちょっとした森林公園・・・白鳥が水面すれすれを滑走していた。

さすがリオハワインの産地、一面にブドウ畑が広がる

高速道路沿いのフェンスに、たくさんの木の十字架・・・

ナバレッテが見えてきた・・・本日はこの町でウォーキング終了

ナバレッテの古い町並み

手前の建物が泊まったアルベルゲ

グレシア・デヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン教会

Coffee Break1
アンカー 1

コーヒーブレイクといっても、ここではそのコーヒーの話。

スペインでは、店で普通にコーヒーと言ったら、エスプレッソ・コーヒーが出てくる。

たいていはエスプレッソマシンで淹れるから。

バルなんかでは5,6グラムのシュガーが2袋ついてきたこともある。

あるバルで、いつものように

 「Coffee with milk,please!」

と注文したとき、カウンターに座っていた若いスペイン人の巡礼者が、

 「スペインでは普通、コーヒーにミルクを入れないよ」

と教えてくれた。

小生にはエスプレッソは濃すぎるので、ミルクを半分くらい入れてちょうどいい。

日本でいうところの、カフェオーレ。

スペインでは、カフェ・コン・レチェというらしい。

ちなみに、日本の普通の濃さのブラックコーヒーは、

 「アメリカン!」

と言うと、エスプレッソをお湯で割って出してくれる。

あるバルで、ヨーロッパの巡礼者が注文していたので、これは使える、と覚えた。

日本の喫茶店で出すアメリカン・コーヒーよりは、当然濃い。

大きな公営アルベルゲには、コーヒーの自動販売機があって、たいていは以下の種類で選べる。

 カフェ・ソロ →ブラックコーヒー (エスプレッソ・コーヒー)

 カフェ・コン・レチェ →カフェオーレ (エスプレッソにミルクが半分くらい)

 カフェ・コルタード → (エスプレッソにミルクが少し)

 カフェインレスコーヒー → (飲んだことがないが、カフェインを取り除いたものらしい)

ついでに言っておくと、店では日本の喫茶店のように、コップ入り水は出てこない。

水を注文すると、有料のミネラルウォーターが出てくる。

アンカー 2
Coffee Break2

カミーノを歩いている人種の問題。

バルなどに入ると、たいてい「アーユー コーリャン?」と聞かれる。
これはあまり、気分がいい、とは言えない。
最初から「日本人か?」と聞かれるのは、至極まれなこと。
欧米人には、日本人と韓国人の区別がほとんどつかないから、まあ仕方のないことであるが・・・
同様に、日本人にはスペイン人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、イギリス人、オランダ人、ベルギー人・・・・・・欧米人の区別がほとんどつかない。

実際、今回のカミーノでは、実に多くの韓国人と出会った。何十人という単位である。
一方、日本人には19日間でトータル5人に会っただけ・・・

2016年版の巡礼者統計情報によれば、2015年の韓国人は4,072人に対して、日本人1,197人(これは巡礼事務所への登録の数字)。
この数字だと、韓国人は日本人より3.4倍多い。
国別全体では、韓国は1.6%10番目、日本は0.5%21番目。
アジアでは他に上位30番以内に現れる国はない。
参考までに、第1位は当然ながらダントツで、スペイン。トップ10は以下のとおり。
  1位 スペイン122,377人 46.6%
  2位 イタリア 22,124人 8.4%
  3位 ドイツ  18,859人 7.2%
  4位 アメリカ 13,659人 5.2%
  5位 ポルトガル12,465人 4.7%
  6位 フランス 9,914人  3.8%
  7位 イギリス 5,415人  2.1%
  8位 アイルランド5,360人 2.0%
  9位 カナダ  4,201人 1.6%
  10位 韓国  4,072人 1.6%
         (http://www.camino-de-santiago.jp/pdf/2004-++data.pdf)

あるアルベルゲで40代なかばの韓国人と仲良くなったとき、なぜ韓国ではカミーノの人気が高いのか、質問したことがある。
この若く見える韓国人は、・・・よくわからない、自分もそうだから・・・、と答えた。
特に韓国で、カトリックが日本より普及しているわけでもなさそう。
結論は、ブームだから、ということで決着した。

しかし、カミーノ上の案内板にハングル表記はあっても、日本語表記は一度も見たことがない。
ということは韓国では、日本でよくある、単なる一過性のブームとは違う、ということ。
ちなみに、日本語表記に関しては、誰かがマジックインキで一番下に、手書きで書き加えたものは一度くらい見かけたことがあるが・・・・・・

村のスーパーの食品売り場でも、明らかに韓国人向けのものが置いてあったりする。
日本食の材料は、まず置いてない。
これだけでは判断できないが、日本人の国際化は韓国人に大きく遅れをとっている、ような気がする。

サンティアゴ巡礼犬に会う

2016年4月11日(月) 晴れ
 =巡礼11日目= ナバレッテ(8:00)→アソフラ(15:45) 22km
 
今日は相方と相談の上、別行動の日。
朝食は、教会横のバルにて一人で取った。
 
天気は上々。
風景を楽しみ、気に入ったところで写真を撮りながら、のんびり歩く。
朝方は、右足アキレス腱の調子もいい。
 
ナバレッテからベントサまでの半分くらいの距離まで来たところで、一本道の前方に巡礼者とおぼしき人。
しかも、サンティアゴとは逆方向、こちらに向かって歩いてくる。
・・・と、痩せた犬が走ってきた。
口笛を吹くと、尻尾を嬉しそうに振って近寄ってきたので、顎の下と頭を撫ぜてあげた。
飼い主と思われる巡礼者が、重そうなザックを担いで、小走りでやって来た。
飼い犬が知らない人に、何かしでかしたら大変、と心配したみたい。
 「犬が好きだから、大丈夫!」
と言うと、彼は安心して自己紹介してくれた。
 
彼の名はピーター、犬の名前はアルコス、というらしい。
驚いたことに、7ヶ月前にチェコのプラハをアルコスと共に出発して、パリ経由フランス人の道を通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラに到達。

今はその帰りの道中で、このあとローマへ行って、それからチェコに帰るつもり・・・と、英語でのたまわった。
 「7ヶ月前?」
と、驚いて聞き返すと、間違いないらしい・・・しかも全行程、徒歩の様子・・・
いったい全体、何千kmになることか?
さらに、犬連れなのでアルベルゲとかホテルには泊まれず、全部、野宿キャンプ。
 (・・・ヒェ〜(・o・)・・・)
 
青年らしきその人は、長髪、髭モジャで半ズボン、トレッキングブーツ姿。
大きなホタテ貝を首からぶら下げ、手には立派な杖。
な、なんと、アルコス君も首からホタテ貝をぶら下げている。
ワタクシとは違って、まさに筋金入りの巡礼者のよう・・・
 
・・・圧倒されて、しばし感動・・・
ワタクシはまだまだ自分の先が長い、ことを思い出して別れの挨拶をすると、
その青年は申し訳なさそうに、
 「もしよかったらなのだが、食べ物をお持ちなら少し分けてもらえないか?」
さらに、
 「銀行の貯金は底をついたし、昨日からわたしもアルコスも何も食べていないので。」
 
そこで、私がザックの蓋を開けると、アルコス君が鼻っ面を突っ込んでくる。
ピーターが急いで首輪を持って、ザックから引き離す。
あいにくとザックの中には、ほんの少しのフランスパンの残りしかなかった。
・・・アイム ソーリ、と言いながら、それをピーターに手渡した・・・自分ながら、大した役に立てず、残念・・・
 
それで別れて、ほんの2、3分あとのこと。
アルコス君が走って戻ってきて、ワタクシの右手を、ペロペロ・・・舐めた!
そしてすぐ、100mほど後ろのピーターのところへ向かって走り去った・・・・・・
・・・おそらく、ピーターからパンをもらったので、アリガトウ、と言いに来たのだ・・・・・・
なんと健気な・・・何ともいえない感動が私を包み込み、自然と涙が・・・溢れた・・・
 
そして、今日のこの体験で、今回のカミーノの価値はもう十分ある、と思いながら歩き続けた。
・・・・・・
 
いつの間にか、相方との再会約束の地ナヘラを通り過ごしていた。
完全にナヘラの看板を見落としていた。
動かなくなった右足を引きずりながら、次の村アソフラのアルベルゲに投宿。
夕方、降雨・・・カッパを着込んで、ひとり、バルへ・・・

これくらい足が長かったら、高校時代に陸上中距離でインターハイに行けたかもね?(無理、無理!)

チェコへ戻る途中のピーターと巡礼犬アルコス

やっとサンティアゴまでの残り距離標識が登場・・・593km、あと何日かかることやら・・・

ブドウ畑が続く・・・

ブドウ畑の遥か彼方に、雪山・・・

小さな小川を渡る、小さな橋・・・

赤茶けた断崖に、何やら洞窟が掘られているような・・・

川の近くに、コジャレたカフェもある・・・

あとでガイドブックを見て、ここがナヘラだとわかった・・・

午後になると、右足アキレス腱はもう限界。峠越えはキツイ・・・

いつまで経っても次の町が見えないので、この時やっとオカシイと気づく・・・

アソフラの公営アルベルゲは、珍しい二人部屋

今日のバルの巡礼者定食メインディッシュは、ポークステーキ

Coffee Break3
アンカー 3

今回は言語の話。


これは日本人にとって、まして海外に行ったことがない人にとっては、大きな関心ごと、のよう。

出発地のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーはフランス領なので、フランス語。
ワタクシ、さっぱりわかりません。
2日目以降はスペイン領なのでスペイン語。
ワタクシ、さっぱりわかりません。
でも大丈夫。
片言の英語でも何とかなります!

一番重要なことは、「コミュニケーション能力」。
それは一体何だ? というあなた。
むずかしく考える必要はありません。

相手は同じ地球人、決して猿ではありません(猿に特別、悪気はないですが)。
自分の伝えたいこと、知りたいことを一生懸命、「誠意を持って」話すこと。
相手の言うことを、一生懸命「誠実に」理解しようとすること。

当然、最低限の英単語は必要デス。
でも、過去形、過去分詞、文法は、正確でなくてもおおよそ意味は通じます。
身振り・手振りも入れれば、なお一層、グッド。
巡礼者の9割近くは英語圏以外の国から来た人たちなので、片言英語でもバカになどしません。

ところが、片言英語でも現地のバルやスーパーでは通じないことが多い。
バルのマスターやスーパーのセニョーラは・・・わからない、という素振りをする。
こういう場合は、欲しいものの英単語と終わりに、プリーズを付けて言うと、割と簡単に通じる。
たとえば、赤ワインをグラスでほしい時は・・・

 「レッドワイン ワングラス、プリーズ!」
これはさすがによく使うから、巡礼旅の終わりの方ではスペイン語を覚えたが・・・

 「ビーノ ティント ウノ!」

言うまでもなく、現地の人には片言英語より片言スペイン語のほうがよりいい、のは当然である。

再会

2016年4月12日(火) 晴れ時々小雨時々曇り
 =巡礼12日目= アソフラ(9:00)→サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ 15km

 昨晩、寝ながら考えた・・・離れ離れになった相方を捜す方法・手段は、比較的簡単に思えた。
何しろ、たくさんの巡礼者が毎日歩いている。
しかも、日本人は目立つし、昨日はナヘラに泊ったのは確実。
ゆっくり歩いていれば、そのうちに追いついてくるだろう・・・と、ほとんど心配はしていなかった。
 
巡礼者達の朝は早い。
二人部屋のもう一人のアメリカ人は、外がまだ暗いうちにさっさと出発した。
ワタクシはのんびり準備して、このアルベルゲでの規則ぎりぎりの9時に出た。
 
村の教会広場へ行って教会を写真に収めてから、巡礼コースに戻って歩き出す。
そこでほんの少し進んだだけで、もう後ろから呼びかけられた。
巡礼1日目アルベルゲの韓国女性3人組のひとりだった。
・・・あなたの友達が、すぐ後ろを歩いてくるよ・・・
あっけなく、再会。
 ・・・・・・

・・・・・・


巡礼路は、ほとんどが小麦畑の丘の中を進んでいく。
途中通過した町・・・シルエニャはまるでゴーストタウン。
閑静な住宅街に人影が見えない・・・
さらに小麦畑が続き、丘を越えるとサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの町と教会尖塔が見えてきた。
 
ここは古い町並みが残る、比較的大きな町。
ここの公営アルベルゲの裏庭には、ニワトリが飼ってある。
ある伝説を伝えるため、大聖堂には2羽のニワトリが常にいて、そのための「交代要員」らしい。
 
洗濯を済ませてから、残りの旅の資金調達のため銀行へ行く。
といっても、クレジットカードを使ってATMでユーロを引き出すだけ。

夕食は、スーパーで食材と地元リオハワインを格安で調達して、自炊生活。

日本のスーパーで買う格安ワインとは、味覚が一味違う・・・(たぶん)。

近代的なアルベルゲ・ムニシパル・ペレグリーノス・デ・アソフラ

アソフラの中心にある教会

広大な小麦畑の中に赤茶けた巡礼路が続く・・・

アキレス腱が切れそう・・・

現代的な住宅街が見えてきたが、実は・・・

住民の姿が見えないゴーストタウンでした・・・

丘越えが続く・・・アキレス腱、切れそう

やっとこさサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの町が見えてきた

ここのアルベルゲは信徒団運営だが、内部は割合に近代的

Coffee Break4
アンカー 4

・・・巡礼の基本・・・<挨拶>‥・

巡礼者同士の挨拶は、「ブエン カミーノ!」
「良い巡礼を!」というような意味らしい。宿を出発するときは大きな声で・・・
ほかには、巡礼者を追い越すとき、追い越されるとき。

一方、スペイン現地の人には、「オラ!」
すると、現地の人は我々の巡礼者姿を見て、「ブエン カミーノ!」と返してくれる。
「オラ」は、朝、昼、晩使える万能用語で、非常に便利。

あと、店に入るとき、店主なり、店員に笑顔で・・・「オラ!」と挨拶すること。
これはこのあとのコミュニケーションを、スムーズに進めるため、ぜひ必要。
黙って店に入って、隅っこに座っても誰も注文聞きには来ない。
・・・ここは、日本ではない。
黙っているだけで、何も喋らない日本人は嫌われる・・・

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